明治15年頃、平戸瀬戸に回游する長(なが)須(す)鯨を捕獲するため、平戸市植松の捕鯨組がアメリカの捕鯨銃をとりいれた。この指定された銃は鉄製の全長96㎝、口径2.8㎝の小銃で、先ず早(はや)盒(ごう)(火薬入)、次に長さ48.5㎝の革製の羽根のついた鉄製の火矢を口(くち)籠(ご)めにし、引金を引けば雷管発火装置で早盒(はやごう)の火薬が爆発し、火矢を発射させる仕組である。火矢は破裂矢(破裂槍)といい、命中したら体内で破裂、必殺をねらって工夫をこらし、平戸式とか植松式捕鯨銃とか呼ばれた。この銃殺捕鯨法は利点もあったが、命中しても逃げ出したり、死鯨の引揚げが困難だったり、成績不振で、平戸地方だけのものに終わってしまった。
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