壱部浦は、江戸時代中期から明治初期にかけて、西海屈指の鯨組であった益冨組の本拠地として栄えた集落である。益冨家住宅は、石垣を築いて一段高くなった港を見渡す敷地に建ち、文政~嘉永期ごろの様相を良好に留め、往時の景観を今に伝えている。
本瓦の大屋根をいただく大きな木造の建物(主屋-1848年/昭和12年改築、座敷-江戸時代後期)は、鯨組主の居宅らしい剛直な外観を見せている。
敷地の北西に築かれた高い石垣の上には、恵美須神社(1825年)が海を向いて建ち、社殿の前には鯨組関係者が奉納した石鳥居や灯籠なども残っている。
御成門(江戸時代後期)は、平戸藩主が訪れたときだけに使用されたもので、どっしりとした印象を与えている。
いずれも、日本最大規模の鯨組として隆盛を誇った組主の邸宅にふさわしい建築的価値を有している。
大きな地図で見る