東山手十二番館は、明治元年(1868)ころの建築と推定され、竣工後ほどなくロシア領事館が置かれた。その後は宣教師の住宅などに使用されたが、昭和16年(1941)活水学院に贈与された。昭和51年(1976)当学院から長崎市に譲渡され、現在は教育関係の資料館として利用されている。敷地は、東山手地区旧居留地の一角にあり、建築の基本形式としては初期洋風住宅の容姿を示すが、石造建築に匹敵するような木割りの太さ、全体にゆったりとした間取り、付属屋内にもマントルピースのある居室を置くなど、領事館建築の特徴が如実に現れている遺構である。
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