清水家住宅主屋は、島原街道の東側、北側の小路が通る角地に西面して建っている。
主屋主体部分は桁行6間半(12.8m)、梁間3間半(6.9m)、切妻造、桟瓦葺、平入の木造2階建である。北側を上手とし、正面全面に1間半(3m)、背面に半間(1m)の下屋をおろす。外壁は大壁造漆喰塗りである。
敷地は南北に往来する島原街道の東側に位置し、北側に小路が通る角地である。主屋は島原街道に西面して建ち、北側を上手とする。
主屋主体部分は桁行6間半(12.8m)、梁間3間半(6.9m)、切妻造桟瓦茸き平入で、二階建である。正面全面に1間半、背面に半間の下屋を下ろす。外壁は大壁造漆喰塗りである。
主屋主体部分の間取りは、床上部分と通り土間部分に分かれ、床上は表2室、裏3室を配し、さらに正背面に下屋をおろし居室部を広げる。二階の調査ができなかったため、棟札の確認ができなかった。建築年代は明らかではないが、編年考察から明治後期と考える。
清水家3代目当主強氏は、島原新聞の社長である。初代繁三氏が明治32(1899)年に島原新聞を創設し、平成13(2001)年で100周年を迎えた。
当家主屋は正面全面に下屋を下ろす形式で坪庭はない。江戸時代から続く坪庭形式とは異なっている。江戸時代からの要素を持ち合わせながら新しい特徴もみられる過渡期の町家として、島原町家の変遷をたどるうえでも重要な遺構である。
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