江迎湾に注ぐ鹿町川南岸、標高70~80mの玄武岩台地上にあり、その規模は原山支石墓群(国指定・南島原市)とともに国内最大級を誇る。
支石墓は大陸文化の影響を受けて、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて作られた墳墓で西北九州に多く分布する。県内では本支石墓群の他に15か所が確認されており、群をなす特徴をもっている。
本支石墓群が作られた時期は、出土資料から縄文時代晩期から弥生時代前期に比定されており、支石墓群の推移を考えるうえで重要な遺跡である。かつては80数基存在していたと推定されるが、現在は2群46基が指定されている。数多くの出土資料の中で、広形銅矛の袋部(着柄部)は特に貴重なものである。