平戸藩の儒者として著名な楠本端山(たんざん)(1828~1883)と弟碩(せき)水(すい)(1832~1916)の旧宅である。
建物は端山の父養斉が天保3年(1832)建築したもので、門は平戸の楠本屋敷より明治初年移築した。邸内の祠堂や座敷、台所などには当時の儒家の生活をしのばせるものがあり、近くには端山が開いた鳳鳴(ほうめい)書院の遺構がある。楠本家の墓域は楠本邸の南にあり、墓域内の端山の墓は斎(い)垣(がき)で囲まれた土墳で前に南面して石の墓碑がある。墓碑には儒教式墓標が刻まれ、夫人近藤氏の墓は右隣に並んでいる。碩水の墓は端山の墓の南隣に西面してあり、夫人浦上氏の墓と左右にある。端山の墓の背後には一族門弟の土墳6基があり、儒教風の墓碑群として特異な存在である。
大きな地図で見る