佐世保市を中心とした県北部地域は、30箇所以上の洞穴遺跡が存在し、日本でも有数の洞穴集中地帯であり、洞穴遺跡の変遷をよく示している。
洞穴への人の居住は、直谷稲荷神社岩陰遺跡の最下層にみられるように約40,000年前の旧石器時代には開始されているが、生活の拠点として洞穴が利用されたのは土器が出現する縄文時代草創期(今から12、000年前頃)の泉福寺洞窟(国史跡)と福井洞窟からである。縄文時代早期には岩下洞穴(県史跡)、縄文時代前期には下本山岩陰遺跡が拠点的遺跡として継続して存在し、当地域における洞穴遺跡の標識的な変遷のモデルとなっている。なお、縄文時代前期以降、洞穴は主体的な居住の場として利用されず、門前遺跡のような野外にある開地遺跡が生活の拠点となっていくことが推定される。
下本山岩陰遺跡は、相浦川河口近くの標高16mの砂岩露頭に位置し、当地域の縄文文化を特徴づける洞穴遺跡の中で、縄文時代前期において拠点的に利用された洞穴遺跡の最後の姿を示す重要な遺跡である。
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