慶長年間(1596~1615)頃に日用雑器の陶器が生産された三川内最古級の登り窯で、平戸松浦藩の窯業の草創期を物語る重要な窯跡群である。
窯は丘陵先端に北から南に向かって延びており、窯室の広さは約2×2mで胴(どう)木(ぎ)間(ま)付近は水田によって削平されているがおよそ10数室を擁していたものと思われる。昭和57(1982)年の調査でこの指定の窯の西側に隣接してほぼ同様な規模をもつ2基の登り窯が発見された。付近には物原と工房跡らしきものがあり、陶工の墓と伝えられるものもある。製品は朝鮮風の素朴な重ね焼の皿や天目風の茶碗、叩き手飴釉壺などがある。絵唐津は簡単な図柄を施したものが多い。
松浦藩の草創期の窯跡であり、磁器製造以前の陶器製造技術の移行がわかる貴重な遺跡である。
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