南串山池崎地区の畑中にあったものを,竹下家裏庭に移していたが,昭和53年に再度現在地に移して整備した。 板状扁平形伏碑には正面軸部に「里阿(りあ)ん」右側面に「慶長十一年」左側面に「九月三日」と碑銘が刻まれ,日本最古の紀年名を持つ墓碑である。他2基は板状平形伏碑で,1基は「里阿(りあ)ん」と同じ側面に「慶長十一年」と碑銘があるため,日本最古の板状伏碑で,地中に埋っている部分に月日があると思われる。残る1基は表面に「慶長十七年六月廿七日」と刻んである。 大きな地図で見る