この条約は、安政2年12月23日(太陽暦1856年1月30日)に幕府の指令を得て、長崎奉行・荒尾石見守ほか3名とオランダ国王の全権日本領事官ドンケル・クルチウス(最後のオランダ商館長)との間で調印された蘭文条約書の原書である。長崎奉行所旧蔵。縦46㎝、横66㎝、羊皮紙にドンケル・クルチウスの自署がある。同条約とともに「安政二年日蘭条約書和文写」等13冊の関係文書も一括指定されており、安政2年から同5年にいたる一連の日蘭条約締結の経緯を伝えるもので、開国をめぐる幕府外交の事情をうかがえる。
日本とオランダは、慶長14年(1609)に平戸にオランダ商館が設置されて以来、特に「鎖国」後は、西欧諸国で唯一の交易国として親密な間柄であったが、正式の国交はなかった。この条約によって正式な国交が開かれ、在住オランダ人への拘束は解除された。だが、出島における商業行為は従来通りとされ、会所貿易は存続された。
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