鉅(おう)鹿家(がけ)の祖とその兄魏毓禎(ぎいくてい)の二人を祀る前方後円の中国式墓である。
鉅鹿家の祖先魏之琰と兄の魏琰禎(六官)は明朝滅亡後、長崎に来航し安南貿易に従事し、巨商となり、崇福寺の大(おお)檀(だん)那(な)として活躍した。鉅鹿家は明の遺臣魏之琰(九官)を祖とする長崎在住の中国人の名門である。鉅鹿の姓は之琰が徳川家光から中国の魏の発祥地、河北省鉅鹿の地名を賜わったものという。
元禄2年(1689)之琰が死去して、子供たちが父と伯父を立派な純中国式の墓で合葬した。之琰は死去するまで鉅鹿姓を名乗らず魏であったが、子供から鉅鹿と日本姓を名乗った。
大きな地図で見る