英人トーマス・ブレイク・グラバーは安政6年(1859)9月上海から長崎に来て、グラバー商会を設立し貿易に従事した。はじめ住居は各所を転々としたが、眺望佳良のここに土地を得て、商取引の接客用を主とした木造洋館を建てた。大工の墨書により文久3年(1863)の建築であることが確認されたので、年代の明らかな木造洋館として日本最古の遺構である。
建設当初は、L字形平面の主屋、附属屋で接客所として建てられた。その後、ここを住まいの拠点とするため、模様替えや大食堂などの増築を重ねて、明治の中ごろには大体現在の姿となった。棟梁は大浦天主堂やオルト邸と同じ天草の小山秀(秀之進)であったと思われる。
旧グラバー住宅は居留地造成後の初期の建築物であり、日本における洋風住宅の起点となることから、日本人大工への西欧技術の教授とその後建築されていく洋風建築物への技術伝播を知る上で重要な遺構である。
また、グラバーは薩長土各藩を支援した明治維新の陰の功労者で、造船・炭坑・造幣その他、日本の近代文明の導入とその推進に尽した功績もまた大きい。
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