安政5年(1858)日英修好通商条約が締結された後、長崎は開港場として自由貿易が開始され、英国領事館が開かれて外交事務が始められた。現在の領事館は、在上海英国政府建築課ウィリアム・コーワンの設計によって明治40年(1907)に建設され、昭和17年(1942)頃まで使用された。
敷地内には、煉瓦造2階建で1階を事務室、2階を領事住宅とした本館と平屋建の附属屋、煉瓦造と木造を左右に繋いだ2階建の職員住宅などがあり、敷地は煉瓦塀や石塀で囲まれている。本館は1・2階とも周囲にベランダを巡らし、正面2階にはイオニア式の柱を立てるなどして正面性を強調している。
旧英国領事館は、各建物の質がよく、敷地全体にわたって往時の姿をよく保っており、長崎市の明治後半期の洋風建築として貴重であるばかりでなく、近代日本外交史の一端を示す資料として、重要である。
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