寛永9年(1632)長崎に渡来した唐僧黙(もく)子(す)如(にょ)定(じょう)が当時2代住持となり、寺観大いに面目一新し、更に承応3年(1654)隠(いん)元(げん)隆(りゅう)琦(き)を迎えて、殿堂房門が整ったが、寛文3年(1663)市中の大火は当寺にも及び、一山ことごとく類焼した。4代住持(明暦3年1657~貞享3年1686)澄一道亮は復興に着手し、5代住持(貞享3年1686~宝永4年(1707)悦峰道章に至って、ほぼ工を了えた。貞享~元禄元年(1685~94)は唐船入津(にゅうしん)最多の時期で、以後の元禄年間に当寺の大営繕工事が行われた。この山門は元禄3年(1690)の再建になる。三間三戸八脚門、入母屋造瓦葺単層屋根、木割が大きく壮大な外観で、総朱丹塗りではあるが、細部の斗(ときょう)・繰形(くりがた)・蟇(かえる)股(また)などの様式は和様の折衷様を主調とし、いわゆる黄檗(おうばく)様式はあまり見られない。日本人工匠の手によるものである。
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