唐人造立の興福・福済・崇福の3福寺のうちで、草創は当寺が最も早いといわれるが、それは真(しん)円(えん)の小庵創立を当寺発祥とするからのようである。最初は媽姐堂と仏殿が建てられた。媽姐(媽祖)は天(てん)妃(ぴ)・天(てん)后(こう)聖母(しょうぼ)・老媽(のうま)・菩薩(ぼさ)などいろいろの名前があり、海上守護神として華南地方では深く信仰された。来津唐船に祭る媽姐小像は、在泊中各由縁の唐寺の媽姐堂に安置するが、寛文大火(1663)後の当寺復興における、媽姐堂再建の年代と、現存媽姐堂との関係には諸説があって定かでない。堂内正面に寛文10年(1670)の「海天司福主」の大横額があり、大火後7年目の寛文10年には、媽姐堂は立派に整備された。黄檗(おうばく)天井の前廊・半扉・化粧屋根裏風天井等、黄檗様式もあるが、主体は和様の折衷様式である。軒支(のきし)のある建物は長崎では珍しい。
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