文久2年(1862)、ポンペの後任として長崎養生所・医学所の医官として来崎したボードウィンより明治2年(1869)5月13日シーボルトの門弟三瀬周三に宛て出島より出された手紙である。手紙には「親しき周三様あなたの御親書が手元につきました。あなたの準備ができたのを感謝していますが、私も同様に何も個人的には知りません。近日、私はアメリカ経由でオランダに出発しようと思います。再会の時には立派な日本であることを祈ります。取り入れるべき知識をあなた方にも許されるべく、心をこめて御家族と母上様の御幸運と御健勝を祈ります。1869年5月13日出島にて医師ボードウィン」とある。縦21.8㎝、横14.2㎝。
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