元禄年間(1688~1703)に築造されたといわれている大村氏の居城玖島城に附属した船蔵である。
大村藩は長崎港警備の任にあり、また藩内産業を奨励し、産物輸送の必要があった。長崎への最短距離は大村から船で時津に渡り陸路をとることであり、物資の輸送のためにも築港と船蔵の建設が必要であった。
船蔵には3本の船渠(せんきょ)があり、1本の長さは31m・幅は8.4mで、船蔵覆(屋根)の礎石や石塁がよく旧態を留めている。船蔵は多くの藩に設けられていたが、その遺構が保存されているのは極めて少ない。
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