延宝7年(1679)諏訪神社に能舞台がつくられ、能太夫には宝生(ほうしょう)流早水(はやみ)家が任命された能舞台は安政4年(1857)の諏訪の大火で焼失し、能楽も明治元年(1868)には廃止された。現在、同社には45面の能面が保存されているが、そのうち31面は出(で)目(め)栄(よし)満(みつ)の作であり、この面は能舞台完成の際に用意されたものと考えられる。能衣装の大半も能舞台完成時に用意され厚(あつ)板(いた)・唐(から)織(おり)・蜀(しょっ)江(こう)錦(にしき)などがあり、その他能楽用具・能舞台下絵などを含め計151点がある。これらのものは長崎地方における芸能文化史関係資料として貴重である。
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