大村藩の藩校の唯一の遺構である御成門は、天保2年(1831)現在地に五教館が移転されたとき作られ、藩主の来校時に使用したものである。
五教館の歴史は、4代藩主純長が寛文10年(1670)玖島城内に文武の教育のために開設した集義館に始まる。寛政2年(1790)9代藩主純鎮(すみやす)公はこれを拡充し学問所を五教館、武道場を治(じ)振(しん)軒(けん)の2つとした。五教館とは五輪の道(君臣義あり、父子親あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり)を教えるという意味である。五教館では藩令により藩士の子弟に限らず、農民や町人の子弟も入学を許可した。歴代教授の中には著名な学者もあり、同館から松林飯山、渡辺清、同昇、楠本正隆など多くの人材が輩出している。五教館に付属していた建物の中で、唯一残されている遺構として往時がしのばれる。
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