波佐見町村木地区に所在する、江戸時代の大村藩・佐賀藩・平戸藩の三藩の境界となる石碑である。
三方境傍示石(三領石)は、この三藩境を示すため寛保2(1742)年三藩の役人が立ち会って建てられた三角柱の石碑(高さ約2.2m、各面幅約30cm、稜角は大面取り、台座石2段付き いずれも安山岩製と推定される)で、この石柱を基点に境塚や境石を築いたり、植木を植えたりして、藩境を明確にした。この地域では、波佐見焼(大村藩)、三川内焼(平戸藩)、有田焼(佐賀藩)など焼物の産地に隣接しており、燃料の薪などの伐採をめぐって紛争が絶えなかったため、藩境を明確にする必要があった。
三藩の境を示す遺跡は、県内では唯一、国内でも珍しく、その希少性からみて、また、江戸時代における藩領設定の具体的様相を伝えるものとして高い歴史的価値を有している。