松浦家は、江戸時代は亀岡城二の丸に住んでいたが、明治時代になり廃城となった城を出て現在の松浦史料博物館に住んでいた。これを博物館にする際に新築したのが本邸宅である。
主屋は、南面しており全体平面はL字型で棟を東西に向ける本玄関・座敷棟と東端から棟を南北に向ける事務室・使用人棟が建つ。
御守堂は主屋より一段高い場所にあり、南側の正面は入母屋造、背面は切妻造、平屋建で正面一間向拝付の建物である。
金剛庫は元々松浦煕「亀岡随筆」によれば、平戸松浦家34代清(きよし)の命により天保10年(1839)に平戸城二の丸に造営された城内の蔵であった可能性が高い。
仙禽庫は、平戸城内に天保10年(1839)に建てられた「鶴文庫」である可能性が高い。
全体的に和風意匠にこだわり、御錠口や御守堂といった近世以前の伝統的な施設を取り入れた旧藩主本邸として貴重である。