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聖福寺4棟(大雄宝殿 天王殿 鐘楼 山門)

聖福寺4棟(大雄宝殿 天王殿 鐘楼 山門)
重要文化財(国指定)
よみがなしょうふくじよんとう(だいゆうほうでん てんのうでん しょうろう さんもん)
指定年月日平成26年(2014)9月18日
所在地長崎市玉園町3-77
所有者聖福寺

 聖福寺は、延宝5年(1677)に鉄(てつ)心(しん)道(どう)胖(はn)によって開創された黄檗宗の寺院である。
 唐僧木庵に師事し、名僧の誉れが高かった長崎の人鉄心道胖のために、時の長崎奉行牛込・岡野の両氏や在留唐人の有志で一寺創立したのが、この聖福寺であるから、他の興福・福済・崇福の3福寺とは創立の由来が異なる。建築様式も3福寺の唐風朱丹塗りを避け、細部に黄檗様式はあるが、概して本山の宇治黄(おう)檗(ばく)山万福寺の殿堂に近いのは、鉄心が本山に長く修業したからであろう。
 大雄宝殿は正徳5年(1715)改築のもの。棟(とう)梁(りょう)は長崎の楠原与右衛門。
桁行三間、梁間四間の平面で長崎を代表する唐寺の崇福寺の大雄宝殿とほぼ同じ規模をもつ堂々たる仏堂である。柱は全て角柱とし、屋根の棟には鯱や宝珠飾を載せ、前面吹き放し上部には曲面の黄檗天井、卍崩しの高欄を付けるなど黄檗様式の特徴を持ちながら屋根には武雄で製作された赤瓦を使用し虹梁の持ち送り等の彫刻には京都・黄檗山萬福寺にはない、長崎の地方色が認められる。
 天王殿は長崎では唯一の遺例で、布袋(弥勒)と韋駄天像を置く。棟梁藪本次兵衛以下堺の工匠で宝永2年(1705)に建立された。黄檗宗の伽藍配置で大雄宝殿の前面に位置し中門の機能を有している。桁行三間、梁間三間の平面で、入母屋造の反りのある優美な屋根と前面一間の柱間吹き放しにつく曲面の黄檗天井が特徴の建物である。
 山門は堺の豪商が寄進し元禄16年(1703)に建立された。八脚門形式で平面規模は比較的大きく、屋根は切妻の段違で本瓦葺き、中央部を一段高めた雄大な造りで元禄期の優作で、工匠は天王殿に同じ藪本以下堺の工匠である。
 鐘楼は天王殿と同じく宝永2年(1705)に着手され、堺と長崎の棟梁の合作で、遅くとも享保元年(1716)に竣工しており、長崎県内の鐘楼建築では現存する最古のものである。
 聖福寺の境内は、山門、天王殿、大雄宝殿、鐘楼、方丈の建物で構成されており、黄檗宗寺院特有の伽藍配置をよく継承し、創立当時の伽藍遺構を構成する一連のものとして、建築史的価値の高い貴重な建造物である。

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