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ファイル 戸町番所跡四・五・六・七番石標柱

○寛永19年(1642)、長崎港警備のための番所跡
戸町番所跡四・五・六・七番石標柱
史跡(県指定) 
よみがなとまちばんしょあとよん・ご・ろく・しちばんせきひょうちゅう
指定年月日昭和38年(1963)10月30日
所在地長崎市国分町30、37、39
所有者個人
最寄り駅バス「戸町番所跡」下車 徒歩1分

 江戸幕府は、長崎港警備のため寛永18年(1641)筑前黒田藩、翌19年(1642)佐賀鍋島藩の2藩に港口の西(にし)泊(どまり)、戸町に番所(陣屋)を設け隔年交替で勤務に当たることを命じている。戸町番所は寛永19年(1642)佐賀藩主鍋島勝茂によって完成している。両藩では西泊に中老1人を総帥として在任させ戸町には次席の番頭をおき、両番所に士卒500余人ずつを交替で駐屯させた。この両番所は元治元年(1864)に廃止されるまで200余年にわたってわが国国防の第一線として使命を果たした。戸町番所内には天保8年(1825)番所の境界標柱として建てられた北側の5番・6番・7番と東側4番の石柱が旧位置に残っている。


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