天平13(741)年、聖武天皇の詔により鎮護国家を祈念する場として国分寺が全国の国毎につくられた。 壱岐島のほぼ中央部、芦辺町国分本村触(こくぶんほんむらふれ)中野の一角を占める一帯が壱岐国分寺の寺域と考えられている。壱岐国分寺は「嶋分寺(とうぶんじ)」と称されているが(延喜式巻21玄蕃寮条)、官寺として創建されたものでなく、壱岐(いき)直(あたえ)氏の氏寺を転用したものと考えられる。 大きな地図で見る