諫早の眼鏡橋は、江戸時代後期に本明川の氾濫に耐えうる堅牢な石橋として設計され、天保9(1838)年に着工、翌天保10年に完成した。階段式の石造り二連アーチ橋で、長さ約50m、幅約5.5mを誇る。現存する江戸時代の階段式の石造り二連アーチ橋では「日本一」の規模を誇る。
長崎街道は諫早で大村周りと有明海周り(多良海道・竹崎街道)に分岐し、眼鏡橋により島原街道にも接続する。眼鏡橋は江戸時代の交通の要衝に架けられており、近世交通史上でも重要な位置づけができる。そのため、最後のオランダ商館長となったJ・H・レフィスゾーンが嘉永3年(1850)の江戸参府のことを記した『江戸参府日記』の中で、諫早の眼鏡橋について「とても立派な石橋」と、簡単なスケッチとともに感想を記している。
堅牢な石橋として江戸時代に架橋され、幾度の本明川の氾濫にも無傷であった。
昭和32年(1957)に起こった諫早大水害後の本明川の河川拡幅改修工事に伴い、現在の諫早公園内に移設されたが、移設修理事の際に石材のずれ防止の「太柄(だぼ)鉄(てつ)」や補強の「千切(ちぎり)鉄(てつ)」など石橋の構造に関する詳細な情報が得られ、当時の最先端の技術が投入されていたことが確認された。昭和33年(1958)、石橋としては最初の国重要文化財に指定された。アーチの曲線が大変美しく、日本を代表する石橋として海外にも紹介されている。
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