亀丘城(亀尾城)跡は、鎌倉・室町・戦国時代における壱岐の最も中心的な平山城跡である。
鎌倉後期の永仁元(1293)年、唐津の岸岳城主波多宗無(はたそうむ)が築城したと伝えられる。その後一時史料を欠くが、戦国初期の文明4(1472)年、当時壱岐を分割知行していた志佐・佐志・鴨打・呼子・塩津留各氏に対し波多泰(はたやすし)が攻撃してこれを滅し、城を修築した。のち永禄8(1565)年、日高喜が波多政を抑えて城主となった。江戸時代になると松浦藩の壱岐城代が館を構え、支配の拠点とした。城は本丸・二の丸・三の丸からなっていた。