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ファイル 弘安の役瀬戸浦古戦場

少弐資時戦死の地、付近には戦死者を供養するための千人塚が遺る
弘安の役瀬戸浦古戦場
史跡(県指定) 
よみがなこうあんのえきせとうらこせんじょう
指定年月日昭和50(1975)年1月7日
所在地壱岐市芦辺町箱崎大左右触
所有者壱岐市
最寄り駅「瀬戸向町」バス停下車 徒歩5分

 第2回の元軍の襲来のいわゆる弘安の役(弘安4年・1281)に際し、壱岐の瀬戸浦(芦辺町)は激戦の地であった。これについては、「龍造寺文書」弘安5(1282)年9月9日肥前守護北条時定書状に、「去年異賊襲来時、7月2日、於壱岐島瀬戸浦令合戦由事、申状并證人起請文令披見畢」とあるのによっても明らかである。瀬戸浦の東方には武藤経資の三男資時の墓といわれるものがある。壱岐の守護としては、今日わずかに文永10(1273)年11月16日当時武藤資能を確認する(「松浦文書」)のみである。武藤(のち少弐)資時はあるいは壱岐守護代であったかともみられるが確認できない。


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