対馬の北端の港である比田勝港の北東、西泊湾をのぞむ低い旧岬上にある弥生後期の墓地で、箱式石棺4基からなる。
第2号石棺は、稜線と直角に営まれた箱式石棺であり、板石を用い内法長さ1.5m、北の頭部幅0.45m、南の脚部幅0.3mを測る棺をつくる。棺の北側壁の脚もとに添って土器が副葬され、別に1点の銅釧やガラス玉類が発見された。第3号石棺は、第2号石棺と同様、稜線と直交して作られ、砂岩の板石材を多用し、敷石も配して整美な形態をとっている。石棺は内法の長さ1.75m、東の頭部幅0.4m、西の脚部幅0.35mを測り、巨大な扁平板石3枚で天井としている。棺内からは、両側壁に銅釧7(左腕4、右腕3)のほか、広形銅矛が分けて置かれ、別に頭部に土器1、多数のガラス製小玉、管玉が副葬されていた。第4号石棺は、最高所に所在する箱式石棺であり、稜線に直交して所在し、内法長さ1.95m、幅0.45mを測る。棺内中央から鏡1面、鉄斧1点、ガラス製小玉、土器等が副葬されていた。
対馬の弥生時代の諸遺跡の中でも重要な位置を占める遺物であるばかりでなく、朝鮮半島との文化の交流を如実に示すものである。