対馬、壱岐などに所在するこの種の銅像仏のなかでも、頭部の尖った形や顔の表情などに特色がみられる。即ち、頭部は地髪、肉髻(にくけい)の区別なく円錐形状をなし、面部も額からつづけて鼻稜を平らに作り,頬の肉どりも簡素で、のっぱりとした表情となっている。眼は一文字にまなじりをあげ、高麗仏特有のどこかほんのりとしたものは少ない。両肩を被う衣のU字形にあけた胸前もやや狭く、右手をあげ左手は膝上にさしのべて、両手とも第1・3指をまるめた印を結んで結跏趺坐(けっかふざ)している。その膝上に両袖や腹前あたりから垂れる薄いちぢれたような衣褶(いしゅう)は特徴的である。このような特色はラマ教の仏像の影響をうけたと考えられるが、高麗中期から末期にかけて、朝鮮半島は政治的に中国、元の掣肘(せいちゅう)をうけ、文化的にも元のラマ教の影響下にあったことの反映とも考えられる。
大きな地図で見る