法清寺観音堂の本尊である。像高170㎝の千手観音立像で、今は頭上の十一面が離脱しているが、42本の手をもつわが国でつくられてきた普通のかたちの千手像である。胸前に本手の合掌手があり、脇手40本の各1手が25世界の衆生(しゅじょう)を救うとされ、都合千本の手のはたらきが説かれる。この千手像の作り方は、頭体部を檜材の一木から彫り出し、前後に割り離して内刳(うちぐ)りし、再び矧(は)ぎ合わせる割矧(わりは)ぎの手法を用い、そして両肩うしろに脇手を前後三段に取り付けている。低い髻(もとどり)や円満な面相、条帛(じょうはく)や裳(も)の襞(ひだ)の穏やかな彫出などは藤原仏の特質をみせ、脚前をよこぎる天衣(てんね)の彫りは深く、古式な力づよさものこしている。制作は藤原今期と思われるが、十二世紀初頭頃には制作されていたと考えられる。対馬の平安仏は東泉寺(とうせんじ)(豊玉町)の木造薬師如来坐像をのぞけば、伝来が知られているのはこの旧佐須院(さすいん)だけで、二十数躯の平安仏伝来は、この地の銀山繁栄にその背景が求められよう。