時津町小島田の寺倉城山の東麓に所在し、元亀2年(1571)長崎開港当時の長崎村や時津村などを有していた領主の墓である。 長崎甚左衛門は慶長10年(1605)長崎失地後、久留米の田中氏に仕え、田中氏断絶後再び大村氏に仕えて横瀬浦に100石を領し、元和7年(1621)に歿した。墓碑は甚左衛門夫妻の墓で、元禄15年(1702)子孫の大村内匠助長頼が建て、山陰(旧地名)の人々が修繕した旨を刻んである。甚左衛門の夫人は大村純忠の娘といわれている。 大きな地図で見る