若松島の北西に位置する日島・曲(まがり)地区に所在する中世古墓群である。
海に向かって延びる礫丘部分全域にわたって、中世以来の石塔類が約70基分林立し、さらに、曲地区から1㎞程離れた同じ日島の釜崎地区の丘の上に、紀年銘を刻んだ高さ約2mの大型の宝篋印塔が1基、海を見下ろすように存在する。基礎の左側に正平22年(南朝暦・1367年)の銘が刻まれている。曲地区の主な石塔や釜崎地区の宝篋印塔は、その石材や高度な彫出技術等から、石造文化が進んだ関西・北陸の若狭地方で1300年代から1400年代にかけて製作され、日本海ルートで日島へ搬入されたと推測される。
一離島に、全国的に見ても大規模な石塔群が集中していることは、当時、日島が重要な貿易拠点であり裕福であったことや活発な海上交易が行われていたことを示し、学術的にも非常に価値が高い。
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