石工の手によらない十字紋を陰刻しただけの自然石立碑である。 台石もなく、すべて地面に立てられている。この地方のキリシタンは、明暦2(1656)年の郡(こおり)崩れ以後の弾圧強化で消滅したと思われるので、現存する墓碑群は明暦以前のものと推定される。 厳重なキリシタン検索のなかで残り得たのは、伏碑と異なる自然石立碑であったためであろう。キリシタン分布の実証資料としても貴重である。 大きな地図で見る