宝暦元(1751)年に開窯された磁器焼成の窯である。
5室の登り窯で、現在は窯壁と温山(おんざん)の一部、窯跡横手の墓地に窯関係者の一人である福元九兵衛(法名実誉良相信士)寛政8(1796)年6月21日銘の墓碑がある。ほかに関係した人物としては民吉伝説とかかわりのある福本仁左衛門、椎葉孝兵衛、椎葉文左衛門、福本勝右衛門などが判っており、陶工達は同じく平戸領内三川内からやってきた人達である。製品は一部には地元佐々の石も使用したと言われるが、多くは天草陶石を使用した白磁染付の日用品である。絵付は全く三川内焼と類似するもので識別は非常に難しい。文化元(1804)年に尾張国瀬戸皿山の加藤民吉がこの窯に身分をかくして住み込み、3年かけて磁器製作の秘伝を盗んだという民吉伝説の舞台である。
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