田平町の北部の水田面には、支石墓が点在し条里の跡をとどめている。
遺跡の中心となる時代は弥生時代中期初頭で、豊富な遺構遺物は初期農村の姿をよく示している。殊に木製遺物は700点余が出土し、①広鍬・竪杵(たてぎね)等の農具は農村の成立と定着を、②ちょうな、よきなどの工具木柄と未完成木器は、専業工人集団と分業化社会の成立を、③案(あん)・槽(ふね)などの食物供献具や磨製石剣と把頭飾(はとうしょく)(剣のつかかざり)等は祭政の首長の存在と階級の分化を示すものとして注目された。初期の農耕生活をうかがい知ることができる貴重な遺跡である。
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