永禄5年(1562)大村純忠の招きに応じて、ポルトガル船が横瀬浦に入港し、イルマン・ルイス・デ・アルメイダは教会を建て、純忠と契約を結んだ場所である。
この港は「Nossa Senhora daAjuda(御扶けの聖母の港)」と呼ばれることになった。翌年の6月はじめ大村純忠はその地で受洗した。同年ポルトガル船が入港し貿易は更に活発になったが、11月反純忠勢力の攻撃によって完全に破壊された。横瀬浦の短い命は大村領と長崎におけるキリシタン文化の歴史に消えない跡を残した。来航地教会跡、純忠屋敷跡などと伝わる場所がある。
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