慶長元年12月19日(1597年2月5日)、豊臣秀吉の命によって、京都と大阪で捕らえられ歩いて長崎まで護送されたフランシスコ会の宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信徒17人が磔(たく)形(けい)に処せられた場所である。
この地では、その後も数百名が殉教した。文久2年(1862)ローマ法皇から26人の殉教者は聖人に列せられた。元治2年(1865)、大浦の台地に「二十六聖人教会」(大浦天主堂)が建てられた。昭和25年(1950)、ローマ教皇ピオ十二世は、この地をカトリック教徒の公式巡礼地として指定した。殉教地は現在の西坂公園にあたり、昭和36年(1961)、列聖百年を記念して舟越保武作の記念碑が建設され、昭和37年(1962)今井兼次の設計による資料館と聖堂が建てられた。
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