松浦氏の居城跡で、勝谷城とも記す。
築城は、平安末、松浦久(まつうらひさし)によるものとするが、その年代については、延久元(1069)年・嘉保2(1095)年・久安元(1145)年などの諸説があって一定しない。いずれにしても、松浦党の重要な居城で、古代末以来の山城として、相当長年月にわたって継続的に利用されたものとみられる。城は、山頂に主郭と副郭が配され、それぞれ石塁が楕円形に囲んでいる。主郭西部に大手口の櫓台、主郭東部にも櫓台がある。西側の麓には下部の千人桝と呼ばれる石壁・石塁があり、館跡であろう。
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