神代小路の起源は、17世紀後期に神代鍋島家四代当主鍋島嵩就(たかしなり)が神代城の東側に武家地を造成し、その北西隅に陣屋を構えたことに始まる。神代小路は近世、近代を通して今日まで閑静な住宅地として維持されてきた。
保存地区は、東西約250m、南北約450m、面積約9.8haの範囲で、通りの脇には水路を通し、切石または玉石積の石垣や手入れの行き届いた生垣が並んでいる。
各敷地は、奥行も間口も大小様々であり、形も不整形である。敷地内には旧武家屋敷の住宅の主屋や長屋門、門倉などが建ち、通り沿いの石垣や生垣のほぼ中央に出入口を開く。石垣や生垣で桝形を築き、主屋の玄関を隠すものが多い。
主屋は表側南部に式台玄関、次の間及び座敷を並べ、裏側や北部に土間及び台所、居間、納戸などを置き、近世武家住宅の形式を現在に伝えている。
このように、保存地区は、江戸時代中期の地割りを良く残す武家町で、敷地内に江戸時代の主屋や長屋門などによる武家屋敷の構成を保ち、小路沿いの生垣や石垣、水路などにより特徴のある景観を構成するなど、歴史的風致を良く今日に伝えている。
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