花十字紋入り半円柱形柱状伏碑1基と板状切妻形伏碑3基からなる。 花十字紋入り半円柱形柱状伏碑と無紋無銘の板状切妻形伏碑2基は昭和2(1927)年に指定されていた。昭和54(1979)年2月環境整備の時、地中から2基の無紋無銘の板状切妻形伏碑の墓碑が新しく発見され、同年7月27日追加指定された。地中からいくつかの墓碑が出土し、しかも台石の固定状況からみて、島原の乱以前にこの地域にキリシタン共同墓地があったのではないかとも推定される。 大きな地図で見る