日見峠は、特に急峻な難所であったため、明治15(1882)年8月に人力車や荷車を対象にした日見新道が完成したが、大正期に入ると道路を使った交通手段として、自動車が普及するようになり、従来の日見新道では自動車の普及に対応できなくなってきた。
そこで、当時の長崎県は、大正13年(1924)にトンネル工事を開始し、2年の歳月と総工事費約47万7,000円を投じて大正15年(1926)に、当時の日本最大級のトンネルを完成させた。
大正15年(1926)に開通した日見トンネルは、日本が自動車交通時代を迎えた初期の本格的な道路トンネルであり、日本の道路トンネル技術史においても貴重な構造物である。
ポータル(抗門)のデザインは、大正期の様式を色濃く残したレベルの高い意匠となっている。
大きな地図で見る