相浦川をさかのぼる約9㎞の左岸、石盛岳の南斜面、標高約200mに位置する洞穴遺跡である。
洞穴は浸食作用によって砂岩壁に形成されたもので、間口約17m、奥行8m、高さ1.5mで東南に開口している。4回の調査により、縄文時代早期(約8,000年前)を主体とする遺物類に3基の炉址、27体以上の人骨が発掘された。人骨は洞穴最深部に密集した状態で埋葬されており、全国屈折の埋葬人骨が出土している。石器では石鏃(ぞく)を中心とする狩猟具が豊富で、なかでも埋葬人骨と一緒に出土した局部磨製石鏃の出土が注目される。土器では縄文時代草創期末の条痕文土器から前期の曽畑(そばた)式土器までの変遷が解明された。
遺跡では各時期で炉址の位置が異なり、洞穴が生活場所と埋葬場所に使い分けられていたことがわかる。
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