国見山系から西に流れる福井川の浸食により形成された砂岩洞窟である。標高110mの位置にあり、開口16.4m奥行5.5mの規模がある。
5.5mの堆積層に旧石器時代から縄文時代への過渡期の文化層が認められた。第Ⅱ層、第Ⅲ層から出土した黒曜石製の細石刃と細石刃核(石刃を割りとるための母材)は、旧石器時代末葉の石器で、土器を伴わないとされていたが、第Ⅱ層から爪形文土器、第Ⅲ層から隆起線文土器、第Ⅳ層では細石刃(核)のみが発見されたことから、旧石器時代から縄文時代への過渡期文化の存在が認められたのである。さらに、第Ⅷ層まで細石刃の文化層であることが判明し、旧石器時代から土器文化(縄文文化)への発達段階が明瞭になった。
縄文文化の成立及び発展過程を解明する上で極めて重要なものであり、平成23(2011)年度からの発掘調査では、火を炊いた炉跡が見つかるなど旧石器時代における洞窟遺跡の利用について明らかにされている。
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