諫早家「日新記」の記録によれば、元禄4年(1691)に諫早家被官田中刑部左衛門が職務を退き二男甚内を伴って開窯したことが記され、寛延元年(1748)頃までのおよそ60年間に渡って焼き継がれた陶器窯である。
窯跡は指定の観音窯の他に観音下窯、鬼木上・下窯が伝えられていたが、昭和58年(1983)の調査で鬼木上窯の規模が確認され、観音下窯の物(もの)原(はら)も把握された。他にも小屋敷、山川地区で窯跡の存在を予測する資料類の発見がある。
製品は鉄分の濃い粘土を素地に刷毛目技法(化粧土を筆に含ませて器面に塗ったもの)を駆使した陶器で、各種の化粧刷毛目と舟形、隅切などの大胆な器形、それと四季折々を描いた図柄との合致した姿は「西の仁(にん)清(せい)」「刷毛目紋様の極致」と賞賛されている。指定を受けているものは観音窯登り窯跡と、陶工達の名が判る窯観音、開窯者田中宗悦(刑部左衛門隠居名)の墓碑がある。
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