旧唐人屋敷内の元唐人番の末孫宅に遺存していたこの門は、早くから唐人屋敷二の門遺構として注目されており、昭和24年重要美術品唐人屋敷二の門として認定を受けたが、火災等の危険からみて、現地保存は適当ではないので、長崎市がこれを買収し、昭和35年興福寺境内の現在地に解体移築復元された。調査の結果、唐人屋敷二の門説は否定されて、同屋敷内一般唐人住宅の門と考えられる。建築年代については、唐人屋敷が全焼した天明4年(1784)以後のものとすべきである。使用木材は、中国特産の杉木、和名コウヨウザン(広葉杉)であると、東京大学で鑑定された。
この門は、桁行一間、梁間一間の小規模なもので、扉を前後二重に設ける。軒は挿肘木と花斗によって支えられ、また懸魚には異形のものを用いている。これらの手法は中国南部の建築様式に近似しており、建築様式や細部手法も明らかに中国独特のもので、中国人工匠の手によるものと考えられる。中国の材料による、純粋な中国建築が、仏寺以外の住宅に遺存しており、長崎の歴史を示す異色の建物として価値が高い。
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