俗に田の字型と呼ぶ、わが国農家の基本型は、東半分が作業部分の土間、西半分が居住部分の田の字型に仕切られた4室から成るが、その4室の土間寄りの2室の間仕切を除いて1室とした、いわゆる三間(ま)取りの平面をもつ、県下最古の遺構と考えられている。建築年代については、記録等の証すべきものはないが、本田家は明和年間(1764~71)にはこの地に定住しており、この建物もそれより時代が下がっても遠くはないと推定されている。木割が大で、小屋は叉(さ)首(す)組み、棟(むね)束(づか)は立たない。かや葺き大屋根の葺き卸しに、錣(しころ)葺きのひさしがすがり、これを「ももづき」葺きと呼ぶ。ひさしは普通瓦葺きにするが、これはかや葺きであるのも珍しい。内部竹すのこ床、船形梯子、たて舞(まい)良(ら)戸(ど)その他が遺存し、または復元されている。
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