島原・天草の一揆(1637~38)後、徳川幕府によるキリシタン弾圧は強化され、多くのキリスト教徒が転宗を余儀なくされた。転宗することを「転び」と称する。転宗者たちは再びキリスト教に立ち返らないことの証として、神仏に誓う起請文の形式をとった「ころび証文」を書いた。ころび証文は、日本の神仏に対する誓詞だけでなく、デウス、サンタ・マリア、諸天使、聖人等にも誓う、南蛮誓詞となっている点が特徴である。この証文は正保2年(1645)、「九介」夫婦の転宗を誓うものである。「西勝寺由緒書」によれば書き損じたために西勝寺に残ったものとしており、西勝寺の宗讃による裏書きは抹消されている。
奥書きには、キリスト教を棄教した「ころび伴天連」である沢野忠庵・後藤了順・荒木了伯の名がある。沢野忠庵は元イエズス会宣教師であるクリストヴァン・フェレイラであり、後藤了順はセミナリヨで学び後に司祭になり、荒木了伯は留学生としてローマへ派遣された経験をもつ。3名ともに棄教後は、長崎奉行のもとキリシタンの取締りに従事した。文書形式、内容ともに信憑性があり、キリシタン資料として価値のあるものである。
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