本図は、作者は不詳であるが、明代以降に中国で製作され、日本に請来されたものである。また、本図には墨書があり、宝暦2年(1752)に表装替が行われたとされている。
本図の特徴は、釈迦が宝床台の上で右手枕をし、左足の片膝をたてて横たわる等、一般的な涅槃の型をとらない点であり、道教の不老長寿の思想が重ねられていると思われる。
本図は呉彬(ごひん)が制作した崇福寺(そうふくじ)の「絹本著色仏涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)」(国指定重要文化財)と強い関係を持つものであるが、画面に大きく釈迦を描いている点など、呉彬の描いた図とは相違し、むしろ画面下方の一対の鳳凰、宝床台の前の白象や悲しむ2人の俗人のポーズなど、「春徳寺(しゅんとくじ)の涅槃図」(県指定有形文化財)と極めて酷似している。
明末から清初にかけての中国浙江省(せっこうしょう)寧波(にんぽう)では、浙派と呼ばれる仏画師たちが、伝統的な涅槃図とは異なる独特の構図の涅槃図を制作した。本図はこの浙派の画系に属するもので、長崎の絵画史、特に涅槃図の資料として、さらには中国貿易史の資料としても貴重なものといえる。
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