正保4年(1647)今鍛冶屋町阿山助右衛門藤原国久の鋳作。彼は寛永・正保・慶安の約10年間に、興福寺・晧(こう)台(たい)寺(じ)・本蓮寺・崇福寺・菩提寺(深堀)・諏訪神社の梵鐘を6個つくっているが、崇福寺のものだけが遺存する。2代住持・唐僧百拙如理や魏(ぎ)之(し)琰(えん)・何(が)高(こう)材(ざい)など、当寺大檀(だん)越(おつ)の名が刻んである。大波止の砲丸も、寛永15年(1638)正月、島原の陣のために助右衛門がつくったという。子孫は安山を姓とし、鋳物師として活躍した。
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