小学生部門 長崎県知事賞 僕たちはかわいそうじゃない 島原市立第一小学校 6年 はやし まさみ  僕には病気がある。それは、先天性ミオパチーだ。ミオパチーとは、筋力が弱い、筋力低下、つかれやすい、偏平足、十分睡眠をとっても日中眠いなど、いろいろ症状がある。簡単に言うと、筋肉が周りの人と違う特徴を持っているということだ。  僕は三人兄弟の末っ子として生まれた。兄も姉も僕と同じ病気を持っていた。普通この病気は兄弟で発症すると同じ症状が出るらしい。だが、僕たちは遺伝子の組み合わせがうまくいかず、みんな違う症状が出た。兄と姉は僕と違い、 とにかく肉がつかなかった。筋肉もつかなかったので種類は違うが症状が多かった。僕は幸い兄や姉に比べて症状が少なかった。だから、サポートがたくさん必要だった兄たちのサポートをすることが多かった。  兄たちの手伝いを頼まれることが小さい頃は嬉しかった。だが、三年生になってすぐの頃、不満が沸いてきた。なぜ僕がしなければいけないの?僕も同じ病気なのに。いろいろな不満が頂点に達した。僕は兄たちのサポートをしなくなった。  そして、その年の春休み、家族で旅行した時、神社があるちょっとした山を登ろうということになった。その時に僕は姉を待たずに先に登っていった。僕が頂上についてしばらくして姉は頂上に着いた。僕はもう待ちくたびれていた。 だから、姉が着いた途端、下り始めた。だいぶ待って姉が僕のもとへ来て言った。 「疲れたから少し休ませてほしい。」 僕は、少し待ったが早く車に戻りたかったので姉に、 「まだ?暑いから車に戻りたい。」と、言った。姉は、「もう少し待って。」 と言った。だが待てなかった。僕は姉を急かして車に戻った。その後もいろいろなところを回った。でも、姉は車で待つと言って、留守番をした。不思議に思い聞くと、 「これ以上歩いたら、股関節が痛くなって、何日も歩けなくなる。真己は元気でしょ?でも、お姉ちゃんは歩きたいけど無理なの。」 と答えた。そこで僕は、はっとした。姉も兄もしたくてもできないことがあるのだ。僕は姉たちに比べて、たくさんのことができるのだから、姉たちのサポートをしなくてはと思った。 そして、手伝った後に姉たちから言われる「ありがとう」が嬉しかったのだ。そのことに気づいた。それから僕は、姉たちのサポートを自分から進んで行うようになった。  周りは僕たちを見て、かわいそう、大変だね、と思うかもしれない。確かに大変だ。だが、僕たちはかわいそうではない。僕たち兄弟は病気があっても関係ないくらい仲がいい。時にはライバルになり、周りの兄弟と変わらないのだ。 そして、自分たちに病気があるからこそわかる気持ちもあるかもしれない。だから病気というだけで、かわいそうと言わないでほしい。 僕たちはかわいそうじゃない。病気を持つ良さもあるのだから。 小学生部門 長崎県教育委員会教育長賞 わたしと、1年生の妹 諫早市立西諌早小学校3年 もり とき わたしの妹は、今年の四月から一年生になりました。ひまわり学きゅうの一年生です。どうしてひまわり学きゅうかというと、ダウンしょうというしょうがいがあるからです。ダウンしょうは、二十一番せんしょく体が一本多いしょうがいだと お母さんからききました。でもわたしには、むずかしくてよく分かりません。 妹はわたしの事が大すきで何でもまねしてきます。そして、わたしより先になんでもしたがります。学校に行くときは、毎朝いっしょに学校に行きます。 わたしたちをぬかして一番先頭になって行きます。妹は、ブランコが大すきです。昼休みはいつもブランコにのっています。昼休みがおわるとき、わたしがよんでも、お友だちがよんでもぜんぜん動きません。 そんなときは、いつも先生をよんできます。中庭でわたしが遊んでいるとき、妹は 「ときちゃーん。」 と、わたしの名前を大きい声でよびます。わたしは、はずかしいけれど、本当はうれしいです。でも、学校では、もう少し小さい声がいいと思います。  妹は、学校がおわると、ほうか後デイサービスに行っています。だから、わたしの知らない友だちや先生がいっぱいいます。買物や遊びに行くとたくさん声をかけてもらえるのでうれしいです。  家では、わたしの友だちと妹とよく遊びます。夏休みは、一しょに花火をしました。妹の友だちとも、一しょに工作を作りました。妹が、わがままを言ってたすけてもらったりもするけれど、みんなでなかよく遊べてすごく楽しいです。  お父さんも、お母さんも、おばあちゃんもおじいちゃんも妹の色んな動きが大すきで、いつもわらっています。わたしも一しょに色んな動きをします。なのでみんなでわらっています。  わたしは、妹のようにしょうがいがある人のことを、もっとたくさんの人に知ってほしいです。そのために、この作文をがんばって書きました。 小学生部門 長崎県社会福祉協議会会長賞 見た目で判断してはいけない 壱岐市立沼津小学校5年 いちかわ せいのすけ  人はしょうがいをもっている人とは、物事がうまくいかず思い通りにならない人のことだと思います。ぼくは、しょうがいという事を深く理解をしていないと、今回この作文を書こうと思った時に気付きました。 しょうがいをもつとは、耳が聞こえない、目が見えない、話ができない、理解していても行動に移せないなど、見た目は何もないふつうの人だと思っても、何かしらしょうがいがあり、見た目でわからないものだと思いました。 だから、ぼくは、人を見た目で判断してはいけないと思いました。  元気な人でも、耳が聞こえない人はテレビの中で話している声や音などが全く聞こえないけれど、しょうがいをもっている人の中には少しだけ話し声や音が聞こえている人もいるということを知りました。ぼくのお母さんの知り合いの人で、 ぼくが幼い頃に会った時はふつうに話をしたり、遊んだりしたことのあるのを覚えています。けれど、お母さんからその人は急に耳が聞こえなくなってきているということを聞き、どうしてなのか、不思議に思いました。詳しく聞くと、 ある病気になって薬をたくさん使ったために耳が聞こえづらくなってきていると教えてもらいました。ぼくは、「耳が聞こえなくなって困っているだろう。」と思ったけど「今は、手話や紙に文字を書いたり、携帯電話のメールなどで伝えたりするなど、 コミュニケーションの取り方がたくさんあるんだよ。」とお母さんが教えてくれました。ぼくも何かできることはないかと考えようと思いました。  世の中には、もともとしょうがいをもって産まれてきている人や病気でしょうがいをもつ人もいるので、見た目で判断してはいけないとお母さんから教わりました。また、見た目が変だからと笑うこともしてはいけないことです。 人はみんな違ってみんな一人一人個性があり、しょうがいがない人も、しょうがいのある人もみんな違うから楽しいこともたくさんあるんだと教えてもらいました。ぼくは、少しよくわからなかったけれど、人を見た目で判断することは、 本当にいけないということを理解しました。  世界にはたくさんの人がいて、しょうがいがある人もしょうがいのない人もみんなで協力して生きていくことが大事だと思います。そして、ぼくはいろんな人と友達になりたいので、人を見た目で判断せず、困った時は勇気を出して助け合っていきたいです。 そのためには、ぼくは人を見た目で判断しないように気をつけていきたいと思います。     小学生部門 長崎県手をつなぐ育成会会長賞 私のおじ 長崎市立山里小学校 4年 いけだ ひまり  私のおじは、しょうがいがあります。何のしょうがいかというと「自へいしょう」というしょうがいです。自へいしょうには、たくさんのタイプがあって私のおじは、言葉をしゃべることができず何かをしたいときには、手をひっぱったり、 指をさしたりして教えてくれます。急におもいっきり立ち上がることがあり、びっくりすることもあります。だけど何かを伝えたいのかもしれません。それは、私にも分かりません。  ふだんは、デイサービスというしょうがいがある人が行く学童みたいな所へ週六回行っています。デイサービスには、自へいしょうだけではなく、いろいろなしょうがいのある人がいます。おじがデイサービスで何をしているのかは分かりませんが、 笑顔で帰ってきてるので楽しい場所なのかなと思います。言葉は、しゃべれませんが手や足は動くし自分でごはんを食べることもできるし、おふろに入ることもできます。昔は、手さきを使うのが苦手でできなかったみたいですが、 練習をしてできるようになったみたいです。すごいなと思いました。たぶん初めて会う人は、びっくりすることがあると思います。でもいつもにこにこ笑っていて私や妹がうるさくしていても笑って見ています。すごくやさしいおじだなと思います。  見た目は、ふつうです。でも話すことができず、話しているつもりなのかもしれないですが、私たちには、何と言っているのか分からない声を出します。急に声がでることがあります。私もびっくりすることがあり、ドキッとなります。 でも伝えたいのに伝わらないこともたくさんあってそれは、かわいそうだなと思います。これから私にできることがあれば、助けてあげたいなと思うし、いっしょにいろいろなこともしてみたいです。  おじみたいに見た目では、分からないしょうがいのある人もたくさんいるので、こわがらないで、もし困っていたりしている人を見かけたら助けてあげてください。 小学生部門 長崎県知的障がい者福祉協会会長賞 ダウンしょうの兄 佐世保市立相浦小学校 4年 やまぐち ひまり  わたしは、二十才の兄と、十七才の兄とわたしの三人きょうだいです。十七才の兄は、しえん学校にいっています。せいちょうがゆっくりで、しりょくのていかがあり、しんぞうの病気をもっています。言葉をはなすのがむずかしくときどき手話で伝えます。  行事にがんばってとりくむすがたが、すごくかっこいいです。ダンスや歌を上手におどったり、歌ったりします。  兄はコミュニケーションがとくいでいつもえがおでまわりに人が集まってきます。兄は、わたしを大切にしてくれるのでわたしは大きくなったら、兄がこまっていることがあればささえていきたいです。今はできないかもしれないけれど、 大きくなったら兄をささえられるかっこいい妹になりたいです。ごはんを食べる時の兄は、しあわせそうです。家族といっしょにいる時の兄は、とてもしあわせそうです。  いつもえがおな兄は、わたしとせいはんたいなせいかくです。けれどすごく仲がいいです。  家族を温かくしてくれる兄です。兄のえがおを見るとすごく心がほっとします。わたしがかいものに行くと、たまにへんな目で見られる時もあるけれど、そういう人は人のがんばりをしらない人たちで、 思いやりややさしい気もちをもてない人たちだと思います。  兄をもってしあわせです。  兄が足のしゅじゅつをした時には心配でした。でも、しゅじゅつがおわりぶじでよかったです。 兄はしょうがいがあってもやさしく、明るく、えがおでいます。しょうがいがない人もある人もなかよくくらせる世界にしたいです。